大正
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Produced by JIRA
1912年〜1925年の詳細件数 110件

西 暦
で き ご と
1912年
青山脳病院 ラジウム治療室完成 ドイツ人バイエルの設計による
1912年
1月
順天堂病院 ライニーゲル社製 直流感応コイル式X線装置アペックスを設置
1912年
1月
京都帝国大学医学部小児科にライニーゲル社製レントゲン速写装置−イデアールアパラート−を設置
1912年
1月
島津製作所 日本最初の交流式X線装置を完成 特許島津式レントゲン装置の名称 直流・交流両電源
1912年
4月
東京電気川崎工場完成
1913年
Bumm, Kroenig, Gauss, Dederlein, Kroemer ラジウムによる婦人科癌の治療
1913年
陸軍軍医学校ラジウム(1700円)を購入し、肥田七郎が治療を始めた
1913年
1月
Coolidge (米GE社) 真空フィラメント陰極X線管を完成
1913年
1月
Bucky ブッキーグリッド を考案
1913年
1月
国内のラジウム鉱探鉱始まる
1913年
4月
ラジウム協会創立銀座尾張町旧日報社内に 顧問に土肥 慶蔵 遠山 郁三 山田 鉄蔵 吉光寺 錫 ラジウム浴、ラジウム飲用等のサービス
1913年
4月
東大婦人科白木 正博 ライニーゲル社イデアールアパラートを設置し、婦人科深部治療を開始
1913年
4月
ラジウム協会創立 東京銀座尾張町旧日報社内に 顧問に土肥 慶蔵 遠山 郁三 山田 鉄蔵 吉光寺 錫 ラジウム浴、ラジウム飲用等のサービス
1913年
12月
後藤風雲堂 ライニーゲル社製X線装置イデアールを17台納入
1913年
12月
後藤風雲堂 シーメンス・シュッケルト社製X線装置高圧変圧器・回転整流器式を40台以 上納入
1913年
12月
カーティング ブーム エンド ライフ社 ドイツ ファイファ社製 インテンジーフ アパラート 4台、 レフォルムアパラート 3台、 ブリッツアパラート 4台、 クリノスコープ 1台 を納入
1914年
Forssel, Heyman, Bailey & Healey, Seitz & Wintz, Lacassagne, Bacless & Reverdy ラジウム メゾトリウム X線を併用して治療
1914年
Stevenson:ラドン ガラスシード を作った
1914年
1月
米国 Eastman Kodak社 片面乳剤X線フルムを発売
1914年
4月
東京電気 レントゲン ガス管球製造開始
1914年
4月
島津製作所 大正博覧会にX線装置を出品し、金牌を受賞
1914年
4月
浅沼商会 英国ウェリントン社製レントゲン乾板を発売
1914年
4月
当時発売中の増感紙 エレスコ(ザイフェルト社) ゲーラー(ゲーラー) ラジオロギー(ラジオロギー) ロータックス(ザニタス) シネグラン(ライニーゲル) ハイデン(ハイデン)
1915年
4月
東京電気 レントゲン ガス管球−ギバA・B・C型を発売
1915年
4月
東京電気 ギバ蛍光板・ギバ増感紙を発売
1915年
4月
島津製作所 直流A号X線装置 (感応コイル+水銀整流器式) を製作販売
1915年
4月
森川惣助商店 肥田秀商店 名和儀助商店 肥田式レントゲン管球 (ガス管球) を販売修理
1915年
4月
浅沼商会輸入販売 クレーマー社及びウエリントン社製レントゲン乾板
1915年
4月
肥田七郎 肥田秀とともに会社を創立肥田電機工業の前身
1915年
4月
後藤風雲堂 ドイツ ライニゲル社、英国 ワトソン社、米国 ワプラー社製 X線装置を輸入販売
1915年
4月
岩本藤吉商店輸入取り次ぎ販売 英国ワトソン社 感応コイル水銀整流器型、米国ビクター社製 スヌークX線装置 (変圧器+新式整流器)11台
1915年
10月
上野公園で開催中の御大典奉祝展覧会で東京電気 ギバ レントゲン管球 及びGE社製クーリッジ管球を展示
1916年
4月
秋山藤三郎商店 秋山式X線装置を発売
1916年
4月
島津製作所 交流式変圧器+機械整流型 交流A号 B号を製作販売
1916年
4月
島津製作所 UM式X線装置(室 馨造 浦野 多門治考案)を製作発売
1916年
4月
東京電気 GE社クーリッジ管球を輸入し専売、製造権を取得した
1916年
4月
金沢高岡理化学工業 タカ レントゲン ガス管球を製作販売
1917年
Radon(豪) CTの原理である立体復元の数学的理論を確立
1917年
Magalhaes 丹毒のX線療法
1917年
神戸市 ラジウム治療所を開設
1918年
Radium Bomb 治療始まる
1918年
1月
島津製作所 油浸変圧器 機械的交流全波整流X線装置 120KVp 100mA ダイアナ号 100KVp ニューオーロラ号を製作発売
1918年
2月
後藤風雲堂 東京市千駄ヶ谷に東京電機工業を設立し、レントゲン 器械他の製造を始める
1918年
4月
東京電気 ギバレントゲン管球F型を製作発売
1919年
1月
島津製作所 レントゲン専門工場を新設 木屋町から河原町に移転
1919年
2月
東洋乾板設立 発起人 菊地恵次郎 菊地清治他
1919年
8月
室 馨造 大日本レントゲン製作所を創立
1919年
9月
オリエンタル写真工業創立
1919年
9月
大日本セルロイド創立 フィルムベース製造を目指す 創立者森田 茂吉
1920年
Regaud:ラジウム白金針を製作し、組織内照射療法を開始
1920年
1月
Bocage (フランス) トモグラフィーの特許を取得
1920年
1月
東京電気 ギバ蛍光板を製造販売
1920年
1月
アコマX線工業創立
1920年
1月
日立製作所 久原鉱業から分離独立
1920年
1月
シーメンス社 Siemens-dosismesser を製作
1920年
1月
島津製作所 全X線装置に東京電気製クーリッジX線管を採用
1920年
1月
東京電気 表在治療用クーリッジ管U型 及び ケノトロン整流管を 製作発売
1920年
1月
東京レントゲン製作所創立 東京医学電気から分離
1920年
1月
ラジウム製薬 ラジウム製品の製造販売
1920年
1月
肥田製作所 ドイツからX線装置を輸入し販売
1920年
12月
横河電機製作所創立当初は計測機器メーカーであったが、戦後に米国GE社と提携して医療機器の輸入と生産を開始した
1921年
Berven (スエーデン) テレキュリー療法を開始した ラジウム遠隔照射装置をLysholmが製作した
1921年
Hans Meyer 乳癌の手術と照射合併療法
1921年
Lehman, Hintze, Holfelder, Pfahler 手術と照射合併療法
1921年
1月
東京電気 遮蔽型シーレックスX線管球を製作
1921年
1月
桜井 忠三 丸中機械大阪営業所(大阪レントゲン製作所の前身)でX線装置の販売を始めた
1921年
4月
島津製作所 深部治療用X線装置 ジュピター号 200KVp 10mA を製造販売
1921年
4月
東京電気 S型クーリッジ管球を製造販売、遮蔽型シーレックス管球を製作
1921年
4月
後藤風雲堂 ドイツ シーメンス社 ジンメトリーX線装置を輸入販売
1921年
4月
東京電機工業 ケノトロン式X線装置を製造販売
1921年
4月
日新医学社 ドイツ ファイファ社深部治療装置 インテンジーフ レフォルム を輸入販売
1921年
4月
いわしや岩本藤吉商店 米国ビクター社製X線装置、クーリッジ管球、 ド イツ コッホステルツェル社製X線装置を輸入販売
1921年
4月
島津製作所 深部治療用X線装置 ジュピター号 200KVp 10mA を製造販売
1921年
4月
日新医学社 ドイツ ファイファ社深部治療装置 インテンジーフ レフォルム を輸入販売
1921年
5月
合資会社 小西六本店創立 社長 7代目杉浦六右衛門
1921年
12月
オリエンタル写真工業 印画紙 オリエント を発売
1922年
Geller, Fraenkel 間脳照射療法を行う
1922年
Hofbauer 間脳照射を人体に応用
1922年
Failla: Radon Golden Seed を考案
1922年
5月
島津製作所 小型診断用装置 スタルク号 U型クーリッジ管球使用 自己整流方式 を製造販売
1922年
7月
富士フィルム X線フイルム工場を新設し、増産を始めた
1922年
8月
島津製作所 歯科用装置 ホクト号 S型クーリッジ管球使用 自己整流方式 を製 造販売
1922年
12月
癌研究会X光線治療所を東大分院内に開設 山川 保城主任となる
1923年
Werner 更年期障害に脳下垂体照射治療を行った
1923年
島津製作所 深部治療用X線装置 ヘリオス号 (感応コイル水銀整流器式)を 製作販売
1923年
1月
亜細亜レントゲン創立
1923年
1月
森川製作所 レントゲン ガス管球を製造販売
1923年
1月
島津製作所 深部治療用X線装置 ヘリオス号 (感応コイル水銀整流器式)を 製作販売
1923年
1月
大日本レントゲン製作所 グラント号X線装置を製作販売
1923年
1月
大倉レントゲン合資会社 オークラ レントゲン管球及びレントゲン装置を製造販売
1923年
1月
金沢医療器械 キン レントゲン ガス管球を製造販売
1923年
1月
アグファ社 アグファ レントゲン乾板・フィルムを販売
1923年
1月
浅沼商会 イーストマン社X線フィルムを発売
1924年
Pfahler Saturation method ニヨル 線量配分照射法を提唱
1924年
島津製作所 ケノトロン全波整流式深部治療X線装置 ボレスタ号 ジュノー A号、 機械整流式 スペシアル ダイアナ号を製作販売
1924年
1月
東京電気 分析用M型X線管球を製作販売
1924年
1月
Kodak社 不燃性X線フィルム (Cellose acetate ベース)を発売
1924年
1月
島津製作所 ケノトロン全波整流式深部治療X線装置 ボレスタ号 ジュノー A号、 機械整流式 スペシアル ダイアナ号を製作販売
1924年
1月
東京電気 深部治療用 200KVp H型クーリッジX線管球を製作販売 担当松島 清
1924年
9月
レントゲン20日会を結成 島津製(木村) 大日本レントゲン(打越) 東京電気(桜木) 三共(大井、横山) 後藤風雲堂(西村、渡部)久保田・肥田秀
1925年
1月
島津製作所 三条工場に移転寝台用透視X線装置ルーナ号を製造販売
1925年
1月
東京電気 一般診断用空冷クーリッジX線管球R型を製作販売
1925年
1月
東京電気 分析用水冷X線管球「W-3」を製作
1925年
1月
東京電気 シアン化白金バリウム を使用したギバ蛍光板を製作

 

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