私が1971年に国立がんセンターから放医研に移ったのは、当時放医研に建設が始まったサイクロトロンによる速中性子線治療の研究を進めるためでしたが、私の将来の目標は、最終的には荷電粒子線つまり陽子線と重粒子線による癌治療とPET診断を結びつけることを、放医研で実現することでありましたた。速中性子線治療は残念ながらこの構想には向かない治療法でありました。 更に荷電粒子線治療の究極の形として、放射性ビームを用いるスポットスキャニングといわれる方式で、診断と治療の情報を一体化したシステムを作り上げれば、それが理想の放射線治療となることを提言しました。これについては後のスライドで説明します。
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