重粒子線治療特に放射性ビームの医学利用を最初に提言したのは米国のローレンス・バークレイ研究所のC.A.Tobias氏でした。私は1970年代からたびたび同研究所を訪問し、放医研の重粒子線治療の将来計画について、Tobias氏から多くのアドバイスを頂きました。 放医研は1984年に重粒子線治療の研究を開始しましたが、同年11月29-30日に開催された第16回放医研シンポジウム「粒子加速器の医学利用」に、Tobias氏は特別講演者として招聘され、「重粒子線治療の現況とその物理学および生物学的背景」と題する講演をされました。スライドは講演のためにTobias氏がOHPフィルムに描いて使用された漫画ですが、これを招聘のお礼として放医研にプレゼントされました。 "Heavy Ion Utopia"はTobias氏による重粒子加速器自体を用いて、診断と治療を一体化する構想で、これが放医研で実現することを期待しておられました。しかし重粒子線を用いるCTは技術的な困難が多く、まだ世界のどこでも実現しておりません。 Tobias氏は放医研の重粒子加速器にUMEGATRONのニックネームをつけてくれました。私の名前にはユートピアのUと巨大の意味のMEGAが含まれていて大変よいという意味でした。
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